ぬま

ぬまです。沼ではありません。

創作、将棋、文学等、興味のあることを書いていきます。
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私は将棋を保育園から続けている。小中高大と大会にずっと出続けて、それなりに成績も残せてきたと思う。それで将棋を教えたりする機会もあったりするが、「難しそう」とか「地味」とか「モチベがわかない」とか言われたりする。

将棋は駒の動かし方さえ覚えてしまえば簡単だし、思考の駆け引きはめちゃくちゃ派手だし、たくさん指しながら強くなっていくの、魅力的じゃないかなあと、返答したくなるのをぐっとこらえて「まあやってみましょうよ」と返答している。

とはいえ、最近将棋は指すだけではなく「観る」こともアツいとも聞く。私は将棋の勉強のために対局を観ることはあるが、ルールを知らなくても、将棋が強くなくても、観て楽しめるのが将棋らしい。

そういう楽しみ方はよくわからない。それなら「観る将棋」の楽しみ方を解説している本を見てみるか、と購入したわけである。

読んでみると、なるほど将棋というのはこんなに多角的にみられるのかと感心した。

棋士、名勝負、AI……楽しみ方もいろいろあるんだなあ。

とくに、AI(コンピュータのほうが正しいか?)と将棋の歴史が面白い。最近はプロアマ問わず、PCを使った研究が主流になっているが、この流れはどこから始まっているのか? をわかりやすく解説している。とくに、電王戦のあたりは私がリアルタイムで経験したことでもあり、非常に面白かった。

今後は指すだけでなく、観ることも人に勧めてみようかと思える本だった。


やってしまった。

度重なる出張で更新ができず、日々重なるタスクを抱えたまま、書店に行ったのがよくなかった。

今回も大量購入をしてしまった。

自戒を込めて紹介していく。


窪美澄『タイム・オブ・デス、デート・オブ・バース』(筑摩書房)
齋藤彩『母という呪縛娘という牢獄』(講談社)
河合雅司『未来の年表業界大変化 瀬戸際の日本で起こること』(講談社現代新書)
漆原雪人『もしも明日、この世界が終わるとしたら』(角川スニーカー文庫)
宮本広志『1冊でわかるノーマル振り飛車』(マイナビ)
高橋茂雄『すごすぎる将棋の世界』(マイナビ)

『タイム・オブ・デス、デート・オブ・バース』は、直木賞の文言につられて購入。読書メーターでも紹介されていたから、むしろ探していた本でもあった。これは買ってよかった。

『母という呪縛娘という牢獄』は、なぜか手に取った。「すべての母と娘に贈りたいノンフィクション」と帯に書かれており、では父は? 息子は? と疑問を持ったのがすべての始まり。購入。

『未来の年表 業界大変化~』は、『未来の~』を買ってきていたため、発見即購入。相変わらずキャッチーな帯がついていて、「こんなことしなくても売れるだろうになぁ……」と思ってしまう。

『もしも明日、この世界が終わるとしたら』は、かつてみた映画のタイトルにそういうのがあった気がして買っていた。その映画はこちら。


もちろん、続編ではない。別の話である。

『1冊でわかる~』は、もちろん三間飛車の強化のためである。三間を使う以上、他の振り飛車にも詳しくなっておく必要があろう。なんにしても、自信をもって三間を使いこなすにはまだまだ勉強が必要。

『すごすぎる将棋の世界』は、教えている子どもたちのため。将棋は勝敗が明確につくゲームのため、負けが込むと、モチベーションを失いがちである。それを防ぐためには、純粋に将棋を楽しむことが不可欠である。将棋を楽しむ一助になればと購入。


これだけ買って一万超えないのはうれしい誤算。まあ、次に本を買うのは当分先にしなければなるまい。



『三四郎』の続きである。

三四郎は女と別れて、再び汽車に乗る。
汽車に乗った三四郎の向かいに座った男がいた。三四郎の見立てでは、中学教師のようである。
三四郎はこの男について、「大きな未来を控えている自分から見ると、なんだかくだらなく感ぜられる。男はもう四十だろう。これよりさきもう発展しそうにもない。」と述べている。

これを読んだとき、私は「初対面なのに失礼なヤツだな」と思った。しかし、よくよく自分の生活を思い返すと、こういう心持のときがなかったわけでもない。頭の中で思うだけなら人の自由である。年上に対して敬意を感じながらも、自分と比較して、とくに自分が相手より優れている部分を探している。現代では「マウントをとる」なんて言ったりするようだが、先の三四郎の感想もこれに近いのではないか。若さを土台としたひよわな自信家、とでもいえるだろうか。現代でもこの病に侵されている人は多い気がする。自分も含めて……。

そして、浜松の駅で例によって三四郎は女に目を向ける。今度は西洋人であった。
西洋人の美しさに心を奪われる三四郎と、一瞥して「ああ美しい」と言うだけの男。西洋人を見慣れているかいないか、もっといえば、美人を見慣れているかいないかがはっきりわかる。要するに、三四郎はおのぼりさんであり、そのことを本人もようやく自覚したのである。

そして、男とちょっとした言い合いをする。「日本はさらに発展していくでしょう」という三四郎に対して、男は「滅びるね」とにべもない。

読んでみてよくわからなかったのは次の部分である。

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(男は)「熊本より東京は広い、東京より日本は広い、日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
「日本より頭の中のほうが広いでしょう」といった。「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」
 この言葉を聞いたとき、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。同時に熊本にいた時の自分は非常に卑怯であったと思った。
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贔屓の引き倒し、とは、ひいきをしすぎてかえって相手を不利にし迷惑を及ぼすことだ。うーん、よくわからない。考えてみたが、うまくまとまらない。ひとまず、今日はここまで。

『三四郎』はこのペースで読んでいるといつまでたっても終わらないので、次に読む本も出してみた。

村山由佳『ワンダフル・ワールド』が次の本である。『三四郎』の合間に読んでいく。

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